育児ノイローゼから解放された言葉ということで、続けて書いています。
ついこのあいだも、娘を連れて、テレビ座談会を聞かせていただきました。
特に心に残ったのが、
「生きる目的」
と
「生きる目標」「生きがい」
との違いです。
初めは、なんのことやら、よく分かりませんでした。
「生きる目的」「生きる目標」「生きがい」
みーんな同じに思えたからです。
それが、ぜんぜん違う点が、3つもあるんですね。
生きる目的は、
「万人共通唯一」ですが、
生きる目標は、
「人それぞれ」
生きる目的には、
「完成がある」けれども、
生きる目標は、
「死ぬまで求道」
生きる目的は、
「永遠に続く」が、
生きる目標は、
「続かない」「色あせる」。
生きる目標というのは、
「貯金」「マイホーム」「大学合格」「部長昇進」「旅行」……、
私のような主婦なら、
「この子を立派に育てあげること」
などなど。
「晩酌」「睡眠」「入浴」なんかを「生きがい」にして
生きている人もあります。
こんな風に、人それぞれ、違うのが、「生きる目標」です。
バルセロナオリンピックで、有名になった岩崎恭子選手は、
14歳で、金メダルを獲得した時、
「今まで生きてきた中でいちばん幸せ」
と言いました。でも、次のアトランタ五輪では苦戦し、
「ああバルセロナで〝いちばん幸せ〟なんていわなきゃよかった。
金メダルなんていらない、と思ったくらいです」
と語っています。
彼女にとって、水泳は「生きがい」であり、「生きる目標」
だったに違いないと思いますが、
「いちばん幸せ」
が、
「金メダルなんていらない」
に変わってしまう。
「生きる目標」による喜びは、続かないことを
象徴しています。
水泳に完成ということもありません。
ほかの道でも、同様で、死ぬまで求道です。
ところが、「生きる目的」は、全く異質だと聞きました。
「生きる目的」を成就なされた親鸞聖人のお言葉を
教えていただきました。
「噫、弘誓の強縁は多生にも値いがたく、
真実の浄信は億劫にも獲がたし」
〝ああ……なんたる不思議か、親鸞は今、多生億劫の永い間、
求めつづけてきた歓喜の生命を得ることができた。
これはまったく、弥陀の強いお力によってであった〟
噫……と、「生きる目的」が完成したことを
言葉にならぬ言葉で表しておられます。
そして、多生、億劫の間、求め続けた目的ということで、
時間的に普遍であることを示し、同時に、空間的にも貫いていることを
示されて、万人共通の目的があることを明言なされているのだと
お聞きしました。
その喜びは、永遠に変わらぬ「絶対の幸福」になった喜びです。
スケールの違いに、あ然とします。
万人共通ということだから、
そんな喜びの身に、私もなれるってことなんですね!
どんどん成長して、動きも激しくなっていく娘に、目が離せず、
イライラすることはありますが、
育児ノイローゼに陥ることはなくなってきました。
こんな大事なお話を聞いていたら、
だれでも、育児ノイローゼなんて、言っていられなくなるのではないかな。
親鸞聖人のみ教えには、深さの知れない深さがあるのだなあ、
と強く感じたご縁でした。