皆さんは、ゴールデンウイーク、どんな風に過ごされましたか。
前半は、家族で自然を満喫しましたが、
4日、5日は、テレビ座談会を聞かせていただきました。
ただ遊ぶだけで終わっていたら、
また、育児ノイローゼになってしまったかもしれませんが、
尊いお話を聞かせていただくと、
心がとっても安定するのを感じます。
今回は、特に、「信心」ということについて、目からウロコの
話をお聞きしました。
「信心」と言ったら、仏や神を信ずることだと思いがちですが、
人間、生きているかぎり、必ず何かを信じている。
それは、自分の命だったり、お金や名誉、地位、夫や子供だったり、
いろいろですが、何かをたよりにし、あて力にして生きていると
聞きました。
「オレは無信心だ」と言っている人でも、やっぱり自分の能力を
信じていたり、自分の信念を信じていたりします。
そういう意味で、
全人類は、何らかの「信心」を持っていると
言える
んですね。
その「信心」は、
「信ずる対象」
と
「信ずる人の心」
で成り立っている。
この二つの関係を分析すると、次の三通りがあると聞きました。
(信ずる対象) (信ずる人の心)
不実 不実
真実 不実
真実 真実
この世のすべてのものは、火宅無常といわれるように、
常がない、続かない、今日あって明日なき幸福です。
お金も地位も名誉も、家族、友人、健康も、
無常のものです。そういう不実なものを信じていても、幸せにはなれない。
不実なものを不実な心で信じる信心は、「自力の信心」というのだそうです。
いつでもどこでも変わらぬ真実の仏、阿弥陀仏を信じていても、
それを信ずる心が、変わりどおしの自分の心だと、
やはり幸せにはなれません。
信じられるように思える時は、いいけれども、
疑いの心がムクムクでてくると、不安になってしまう。
信じる対象が真実でも、信じる人の心が不実なので、
これも、「自力の信心」と言われます。
信ずる対象も阿弥陀仏という真実の仏、
それを信ずる人の心も、真実であってこそ、本当の幸福になれる。
これが、「他力の信心」だと教えていただきました。
なぜ、コロコロ変わりどおしの人間の心が、真実の心になれるのかというと、
阿弥陀仏は、人間の心が不実であることをとおにお見通しで、
信ずる心までも、与えてくださる
からだそうです。
真実の仏である阿弥陀仏から、「真実の心」を賜って、
賜った「真実の心」で「真実」の阿弥陀仏を信ずるから、
もう変わらない心になれるのです。
蓮如上人は、
「信心という二字をばまことの心と読めるなり、
まことの心と読む上は凡夫自力の迷心に非ず全く仏心なり」
とこれをおっしゃって、
「他力の信心」は迷った人間の心ではなく、
弥陀から賜る仏心だと明らかにされています。
信ずる心くらいは、こちらで用意しなければならないのが普通でしょうに、
信ずる心まで準備なされて、与えてくだされるなんて、
なんてすごいのでしょう!
コロコロ、コロコロ、変わりどおしで、
ちょっとしたことで、すぐに育児ノイローゼかな、
なんて思っている私のような者でも、
そんな真実の心を賜れたら、生まれ変われるのかなあ。
あれっ?
「他力の信心」を賜っても、不実のものを不実の心で信ずるという
「自力の信心」はなくならないとも聞きました。
これは、人や物を疑う心、煩悩なので、他力の信心を獲ても、なくならない。
善知識方がいう「自力の信心」は、阿弥陀仏を不実の心で信ずる信心のこと。
これは、阿弥陀仏を疑う心、「無明の闇」といわれる心で、
「他力の信心」を獲たら、なくなるそうです。
ということは、育児ノイローゼはなくならないのかなあ??
でも、こんなすごい教え、深さの知れぬ奥深い教えをお聞きしていると、
やっぱりなくなりそうな気がしてくるこのごろです。