育児ノイローゼから解放された言葉(9) 育児ノイローゼから解放してくれた言葉(11)
5月 10

皆さんは、ゴールデンウイーク、どんな風に過ごされましたか。
前半は、家族で自然を満喫しましたが、
4日、5日は、テレビ座談会を聞かせていただきました。
ただ遊ぶだけで終わっていたら、
また、育児ノイローゼになってしまったかもしれませんが、
尊いお話を聞かせていただくと、
心がとっても安定するのを感じます。

今回は、特に、「信心」ということについて、目からウロコの
話をお聞きしました。

「信心」と言ったら、仏や神を信ずることだと思いがちですが、
人間、生きているかぎり、必ず何かを信じている。
それは、自分の命だったり、お金や名誉、地位、夫や子供だったり、
いろいろですが、何かをたよりにし、あて力にして生きていると
聞きました。
「オレは無信心だ」と言っている人でも、やっぱり自分の能力を
信じていたり、自分の信念を信じていたりします。
そういう意味で、

全人類は、何らかの「信心」を持っていると
言える

んですね。

その「信心」は、

「信ずる対象」

「信ずる人の心」

で成り立っている。
この二つの関係を分析すると、次の三通りがあると聞きました。

 

     (信ずる対象)    (信ずる人の心)
       不実         不実
       真実         不実
       真実         真実

 

この世のすべてのものは、火宅無常といわれるように、
常がない、続かない、今日あって明日なき幸福です。
お金も地位も名誉も、家族、友人、健康も、
無常のものです。そういう不実なものを信じていても、幸せにはなれない。
不実なものを不実な心で信じる信心は、「自力の信心」というのだそうです。

いつでもどこでも変わらぬ真実の仏、阿弥陀仏を信じていても、
それを信ずる心が、変わりどおしの自分の心だと、
やはり幸せにはなれません。
信じられるように思える時は、いいけれども、
疑いの心がムクムクでてくると、不安になってしまう。
信じる対象が真実でも、信じる人の心が不実なので、
これも、「自力の信心」と言われます。

信ずる対象も阿弥陀仏という真実の仏、
それを信ずる人の心も、真実であってこそ、本当の幸福になれる。
これが、「他力の信心」だと教えていただきました。

なぜ、コロコロ変わりどおしの人間の心が、真実の心になれるのかというと、
阿弥陀仏は、人間の心が不実であることをとおにお見通しで、

 
信ずる心までも、与えてくださる

 

からだそうです。
真実の仏である阿弥陀仏から、「真実の心」を賜って、
賜った「真実の心」で「真実」の阿弥陀仏を信ずるから、
もう変わらない心になれるのです。

蓮如上人は、

「信心という二字をばまことの心と読めるなり、
まことの心と読む上は凡夫自力の迷心に非ず全く仏心なり」

とこれをおっしゃって、
「他力の信心」は迷った人間の心ではなく、
弥陀から賜る仏心だと明らかにされています。

信ずる心くらいは、こちらで用意しなければならないのが普通でしょうに、
信ずる心まで準備なされて、与えてくだされるなんて、
なんてすごいのでしょう!

コロコロ、コロコロ、変わりどおしで、
ちょっとしたことで、すぐに育児ノイローゼかな、
なんて思っている私のような者でも、
そんな真実の心を賜れたら、生まれ変われるのかなあ。

あれっ?
「他力の信心」を賜っても、不実のものを不実の心で信ずるという
「自力の信心」はなくならないとも聞きました。
これは、人や物を疑う心、煩悩なので、他力の信心を獲ても、なくならない。
善知識方がいう「自力の信心」は、阿弥陀仏を不実の心で信ずる信心のこと。
これは、阿弥陀仏を疑う心、「無明の闇」といわれる心で、
「他力の信心」を獲たら、なくなるそうです。

ということは、育児ノイローゼはなくならないのかなあ??

でも、こんなすごい教え、深さの知れぬ奥深い教えをお聞きしていると、
やっぱりなくなりそうな気がしてくるこのごろです。

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