12月 01

NHKの朝の連続テレビ小説「カーネーション」見ておられますか?
女主人公・糸子の次女・直子ちゃんの
やんちゃぶりがケタ外れで、
子守をお願いして、一度は引き受けてくれても、
すぐに断られてしまう……なんてところが、ありましたよね。
うちの子も魔の2歳児なんで、
大変だ、育児ノイローゼになる~と思っていましたが、
直子ちゃんほどではないかなあ、と、少々、ほっとしています。
まあ、作り話なのでしょうが。
同じ年頃の子供さんを持つ母親は、
同じような気持ちで、癒されているのかもしれませんね?

直子ちゃんに癒されているので、
今は、育児ノイローゼにはなっていませんが、
やっぱり仏法が聞きたくなって、
テレビ座談会に行ってきました。

『歎異抄をひらく』への質問に答えてくださるご縁の時です。
今回は、歎異抄第5章の部分からでした。
『歎異抄をひらく』に、『歎異抄』第5章は、

「真の孝行を示されたもの」

と、見出しで出ています。

「真の孝行とは、どういうことでしょうか」

という質問でした。

世間では、孝行といえば、
お金を与えたり、旅行に連れていったり、肩をもんだり、
おいしいものを食べさせてやったりすることだと思われています。
また、すでに亡くなっている親に対しては、
盛大な葬式をしたり、立派な墓を立てたり、法事をしたり、
線香を立てたり、念仏を称えたりすることだと思っている人が、
大多数でしょう。

ところが親鸞聖人は、驚くべきことを仰った。

「親鸞は父母の孝養のためとて念仏
 一返にても申したることいまだ候わず」

〝親鸞は、亡き父母の追善供養のために、
 念仏一遍、いまだかつて称えたことはない〟

えーっ、親鸞さま、本当にそんなこと、仰ったの?
と思うようなお言葉です。
これは、
葬式、墓、法事、線香、花、供物、念仏などが、
死んだ親の喜ぶ追善供養になると思っている常識を
ぶち破られたお言葉とお聞きしました。

『改邪鈔』には、さらに驚くお言葉が書かれています。

「親鸞閉眼せば、
 賀茂河に入れて魚に与うべし」

〝私が死ねば、屍を賀茂河に捨てて、魚に食べさせよ〟

遺体を河に捨てたら、葬式や墓も要りません。
本当に、ビックリするお言葉です。
なぜ、こんなことを仰ったのか。
その御心が、続けて書かれています。

「これすなわち、この肉身を軽ろんじて、
 仏法の信心を本と
 すべき由をあらわしまします故なり」

〝しばしば親鸞聖人がこのように仰ったのはなぜか。
 それは、セミの抜け殻のような肉体の後始末よりも、
 永遠の魂の解決(信心決定)こそが、最も急がねばならないことを
 教導されたものである〟

別に、葬式、法事はいらない、止めよ、ということではなくて、
そういう肉体の後始末に力を入れるよりも、
もっともっと大事なことがある。
それは、「仏法の信心」、
この世で阿弥陀仏に救われることだ、
と、衝撃的な言葉で、ハッキリ知らせるために
仰ったのですね。

阿弥陀仏は、すべての人を、死んでからではない、
平生に、絶対の幸福に救うと誓われている。
さらに、生きている時に絶対の幸福に救われた人は、
必ず、死んで、弥陀の浄土へ往生して、
仏のさとりを開かせるとも誓われ、
その誓願も成就していると聞きました。

だから、この世で絶対の幸福に救われることが大事なのですね。
親鸞聖人の教えを、

「平生業成」……平生に人生の大事業が完成する

「現生正定聚」…現在生きている時に、
        正定聚(絶対の幸福)の身になれる

といわれるのは、このためなんだなあ、と知らされました。

そうなると、真の孝行とは、どんなことか、の答えは、
 ・この世でわが身が阿弥陀仏に救われること

 ・死んで仏のさとりを開いて、父母を救うこと

 ・両親が健在であれば、仏法を伝えること
になると聞かせていただきました。

親鸞聖人の教えを知る前は、仏教といったら、葬式・法事をするもんだ、
くらいに思っていましたが、大変な誤解だったのですね。
生きている時に弥陀に救われる、これが一番大事と分かりました。

育児ノイローゼを解消したいと思って聞き始めた仏法ですが、
育児ノイローゼがなくても、聞きたいという心が大きくなっているこのごろです。

11月 09

魔の2歳児とはよくぞ言ったもの。
イヤイヤは激しいし、イタズラも大胆です。
今朝、閉口したのは、一人で外に出ようとして、
玄関のカギを開けようとしたことです。
ただ、サムターンを回すくらいなら、そんなに問題ないんですけど、
チェーンのカギを外そうとして、ガチャガチャやってもなかなか開かず、
力まかせにドンドンやって、壊しちゃったのです。
弱いバネの部分に力が加わったのか、バネが変な風に曲がってしまい、
大人の力でも、チェーンが外れなくなってしまいました。
朝、仕事に出掛けなくちゃならない時間が迫っているのに、
なんてこと、してくれるの!!!
思わず、怒鳴ってしまいました。そしたら、
大声で泣き出すし、泣き出したら、止まらないし。
また、育児ノイローゼになりそうでした。
幸い、チェーンをドアにくくりつけている金具のネジを
回して、金具をはずすことができたので、
何とか、壊れたチェーンを外して脱出できたんですけど、
ほんと、困りました。
2歳でこんな力あったら、もっと大きくなったら、
どうなることやら……。

今回も、育児ノイローゼからの解放を求めて、
『なぜ生きる』(1万年堂出版)のテレビ座談会を
聞かせていただきました。

その2部7章には『教行信証』にも冒頭に書かれていることで、

釈尊在世中、王舎城におきた悲劇のヒロイン・
イダイケ夫人が、阿弥陀仏の救いにあって、人生の目的を果たした史実

について、記されています。

その一節に、以下のようなお言葉があります。

******************************************************

「今日は、大事を説いて聞かせよう」
と前置きして『法華経』を説かれている時だった。
大衆はかたずをのんで聞き入っていた。その真っ最中に
イダイケの悲痛な叫びが釈尊の心中に届いたのだ。
イダイケの心のすべてを見抜かれた釈尊は、ただちに
説法を中断し、王舎城へと降臨されたのである。
よほどのことといわねばならぬ。

******************************************************

質問は、

「お釈迦さまは、法華経の説法を中断されてまで、
なぜイダイケ夫人のもとへ行かれたのでしょうか」

です。

お答えは、法華経は、
「これを説くために私はこの世に現れたのだ」
と仰って説かれたお経であり、出世本懐経と言われる。
しかし、本当は、法華経が釈迦の出世本懐経ではなかった。
釈迦の出世本懐中の本懐経があったのです。

お釈迦さまが、35歳で仏の悟りを開かれてから、80歳で
お亡くなりになられるまで45年間、仏として説いていかれた
み教えが、仏教です。
その教えは、一切経となって残っていて、その数は、
七千巻余りにものぼります。
その中でも、重要な経典が『法華経』ですが、
その法華経を途中でやめられてまで説かれたのが、
『観無量寿経』です。

そのことを『御文章』4帖目3通には、

「これによりて、むかし釈尊霊鷲山にましまして、
一乗法華の妙典を説かれしとき、提婆、阿闍世の逆害を興し、
釈迦、韋提をして安養を願わしめたまいしによりて、
かたじけなくも霊山法華の会座を没して王宮に降臨して、
韋提希夫人のために浄土の教を弘めましまししによりて、
弥陀の本願この時にあたりて盛なり。
 このゆえに法華と念仏と同時の教といえることは、この謂なり」

とあります。
釈迦の教えは、法華経までなので、そういう意味で、
法華経が、釈迦の出世本懐経となる。
『観無量寿経』は、無量寿仏(阿弥陀仏)を観るお経、
阿弥陀仏のことが説かれているお経です。
法華経を止めてまで、観経を説かれたのは、
お釈迦さまから、阿弥陀仏にバトンタッチなされた、ということ。
だから、阿弥陀仏の本願を説かれることが、
釈迦がこの世に生まれてきた目的だった。
釈迦の出世本懐中の本懐だった。

それを『正信偈』に、

「如来所以興出世
 唯説弥陀本願海」

 釈迦如来がこの世に生まれてきた目的は、
 弥陀の本願を説かれること、ただ一つだった、

と、親鸞聖人、教えられています。
お釈迦さまは、阿弥陀仏のお弟子なので、
阿弥陀仏の指示によって、教えを説かれた、と聞きました。

七千余巻の一切経は、法華経に収まり、それがさらに、観無量寿経に説かれる
阿弥陀仏の本願に収まるんですね。
なんだか、ものすごーくスケールの大きいことを聞かせていただけたと
思いました。

育児ノイローゼもどこへやら。
この子も、いつか、一緒に、この阿弥陀仏の本願をお聞きできるようになるのかなあ、
と、ほほえんで眺められる気持ちになりました。
仏法をお聞きするって、本当に大切なんだなあ、と思ったご縁でした。

10月 04

10月に入って、急に肌寒くなってきました。
ついこの間まで、半袖で十分の暑さだったのに、
風邪ひきそうです。
寝相の悪い娘は、布団からすぐに飛び出しちゃうのです。
夏場はそんなに心配しなかったんですけど、
これから寒くなってくると、布団をはぐと風邪を引くから、
気になって、眠りが浅くなる。
眠りが浅いと、育児ノイローゼを誘発しやすいと聞きました。
気候としてはちょうどいいかな、
と思いますが、これには困ったものです。

今回も、育児ノイローゼからの解放を求めて、
『なぜ生きる』(1万年堂出版)のテレビ座談会を
聞かせていただきました。

その中の一節について、質問がありました。
その一節とは、以下のようなお言葉です。

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「さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし」(親鸞聖人)

〝縁さえくれば、どんな恐ろしいことでもする親鸞だ〟

との告白は、万人共通の実相に違いない。

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質問は、

「自分も、そのような人間だと思います。
 どんな心掛けで生活していけばよろしいでしょうか」

というものでした。

私は、父と母、両親があってこの世に生まれた。
その両親にも、それぞれ、父母があった。
その祖父母にも、それぞれ、両親があった。
こうやって、32代遡ると、70億を超えるそうです。
今の地球の人口ほど。
自分の先祖には、今の地球上にいる人々と同じようなことを
やっている人たちがあった
ことでしょう。
先祖といっても、素晴らしい人ばかりではなかった。

それとは別に、私たち一人一人には、三世を貫く生命がある。
それは阿頼耶識といって、暴流のごときもの。
過去世からの業因がすべてそこに収まっている。
ないものがない。
今、地球上でされていることの因、すべてある。
殺人も、強姦も、盗みも、すべて。
だから、その因によって、どんな結果が現れても、当然なのが私。
なんで、結果が現れないのかといえば、縁がないから。

因と縁が結びついて、結果が生じる。
因はある。縁さえくれば、どんなことでもしてしまう。
それが人間。

では、そんな人間はどうすればよいか。
親鸞聖人は、教えられている。
「悪をこのまん人には慎みて遠ざかれ、近づくべからず」
 とこそ説かれて候え。
「善知識・同行には親しみ近づけ」とこそ説きおかれて候え。
                     (末灯鈔)

ここで、善・悪の基準は、仏縁。
一番大事なのは、仏縁だから。
仏縁によって、真実の幸福になれるのだから。

だから、仏縁のない人、仏法を謗っている人、
仏法を曲げている人には、近づくな。
善知識・同行に近づきなさいよ、と、
親鸞聖人は教えてくださっている、
とお聞きしました。

確かに私たちは、人間に一番影響を受けていると思います。
仏法を聞いている人たちは、皆、親切で、明るくて、
礼儀正しい人たちばかり。
そんな人に近づいていると、自分もだんだんそうなっていけるように
感じます。
育児ノイローゼも遠ざかっていくような感じがするんです。

これからも、善知識・同行に近づくように、
仏法を聞いて、本当の幸せになりたいと思います。

9月 02

9月に入ったのに、まだジメジメとした暑さが続いています。
おまけに、台風まで接近中とか。
イヤイヤ期の娘は、いたずら真っ盛りなので、
また育児ノイローゼになりそう……って感じです。

今回も、育児ノイローゼからの解放を求めて、
『なぜ生きる』のテレビ座談会を
聞かせていただきました。

『なぜ生きる』は、親鸞会会長の高森顕徹先生のご著書で、
65万部も出ているロングセラーです。
その中に、次のような一節があります。

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  世人薄俗にして、共に不急の事を諍う  (『大無量寿経』)

「世の中の人は、目先のことばかりに心をうばわれて、
無明の闇を破る人生の大事を知らない」

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これは、お釈迦さまのお言葉だそうです。

「このように教えていただいても、目先のことばかりに
 心奪われてしまいます。どうしたらよいでしょうか」

という質問に答えてくださいました。
それに対して、
この疑問に答えておられるのが、釈迦一代の教えであると
お聞きしました。
だからこの質問は、

「どうして仏教を聞かなければいけないのでしょうか」

と同じになります。

4歳で父君に、8歳で母君に死別されたといわれる親鸞聖人が、
つぎはオレの番だと死の影に驚き、出家のときに詠まれた歌があります。

「明日ありと
  思う心のあだ桜
   夜半に嵐の吹かぬものかわ」

明日、桜を見ようと思っていても、
夜半に一陣の嵐が吹けば、
散ってしまい、もう見ることはできません。
人間の命は、桜の花よりもはかなきものといわれます。
明日があると思っていても、ない日が来る。
必ず死んでゆかねばなりません。

ところが、政治、経済、科学、医学など、
人間の営みすべては、

「明日がある」

という前提で語られています。
「明日がある」と思う心は、
「死なない」と思う心であり、
「明日がある」と思うからこそ、
「どう生きる」で心が埋め尽くされてしまう。
「なぜ生きる」に心が向かないのです。

「明日がある」というのは、全人類の金剛の信心だけれども、
必ず裏切られる、馬鹿な心。
その心を見つめてゆかねばならないと
お聞きしました。

人類の歴史上、元禄時代も、バブル絶頂期も、本当の安心満足は
なかった。
「なぜ生きる」を知らないから。
「どう生きる」を生かすも殺すも、
「なぜ生きる」を知るか否かにかかっている。

阿弥陀仏に救われるために人間に生まれてきた。
仏法を聞くのは、阿弥陀仏に一念で救われて、
絶対の幸福になるため。
すべての根底に、この「なぜ生きる」がある。
そこに向かって生きるのだと
お聞きしました。

確かに、「明日がある」と思うから、
些細なことが気になって、イライラして、
育児ノイローゼにもなったりするんですよね。
「明日がない」と思ったら、
「なぜ生きる」をど真剣に考える。
最も大事なことをいちばんに優先して考えるでしょう。

自分の中にある、「明日あり」という迷った心を
見つめていかないといけないんですね。

毎回のことですが、仏教って深い。深さも知れぬ奥深さを
感じます。

8月 01

暑中お見舞い申し上げます。

中国では列車事故、日本では豪雨と、
無常の嵐が吹き荒れています。
スカッとするニュースは、なでしこジャパンの優勝くらいです。
寝苦しいのか、子供はなかなか寝付いてくれず、
寝不足ぎみなこともあって、育児ノイローゼ寸前か、と感じていました。

というわけで、育児ノイローゼからの解放を求めて、
今回は、『歎異抄をひらく』のテレビ座談会を聞かせていただきました。

『歎異抄をひらく』というのは、
『歎異抄』の解説書の決定版といわれている書籍で、
20万部に迫る勢いで読まれているロングセラーです。
その中に、次のようなお言葉があります。

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「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」
                         (歎異抄)
〝どんな善行もできぬ親鸞であるから、所詮、地獄の外に行き場がないのだ〟

 この告白は、ひとり聖人のみならず、古今東西万人の、
偽らざる実相であることを、『教行信証』や『歎異抄』には
多く強く繰り返される。

「一切の群生海、無始より已来、乃至今日・今時に至るまで、
穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心無し」(教行信証)

〝すべての人間は、果てしなき昔から今日・今時にいたるまで、
邪悪に汚染されて清浄の心はなく、そらごと、たわごとのみで、
真実の心は、まったくない〟

************************************************************************

このお言葉について、

「なぜ親鸞聖人は、古今東西万人の実相をこのように
 断言できたのでしょうか?」

という質問が出されました。

確かに、ご自身のことだけを自分は極悪人だと言われるなら分かりますが、
ずーっと昔の人も、何千年先の人も、世界中どこの人もみんな、極悪人だ、
と、言われると、どうして?と思います。

それについて、
「阿弥陀仏の本願に根拠がある」
とお答えくださいました。

阿弥陀仏の本願は、阿弥陀仏が建てられたお約束で、
漢字36文字で誓われています。

「説我得仏 十方衆生
 至心信楽 欲生我国
 乃至十念
 若不生者 不取正覚
 唯除五逆 誹謗正法」

ここで、十方衆生とは、全人類のことです。
阿弥陀仏は、十方衆生、全人類をどう見てとられているか。
それは、「五逆誹謗正法」、五逆と謗法の者と見ておられる。
五逆とは、親殺しの罪。
親を殺したりはしてないよ?と思いますが、
しかし、仏教では、私たちは、身と口と心の三つで、罪を造っていて、
心の罪がいちばん重いと教えられています。
心の命令で、口や体が動くからです。
だから、親鸞聖人は、

「親をそしる者をば謗法の者と申すなり」

親に向かって、「いい加減に死んでくれたら……」
「邪魔だ」などと思うのも、五逆罪。
「こんなにつらいのなら、死んだほうがましだ」
と思うのも、産んだ親をウラム心なので、五逆罪だそうです。

それよりもっと恐ろしいのが、謗法罪。
仏法を謗る罪です。
「仏法も鉄砲もあるか」とあからさまに謗るだけでなく、
親鸞聖人は、

「善知識をおろかに思い、師をそしる者をば、
 謗法の者と申すなり」

と仰って、善知識のご説法を聞きながら、
「今日の話は長かった、短かった」と、善知識の上にたって批評したり、
眠くなったりするのも、謗法罪だよ、と教えられています。
仏法聞いていない人は、身体で、そんなもの、聞く価値ないよと
謗っているので、謗法罪を造らない人はないと説かれています。

そういう五逆・謗法の者を助けるために建てられたのが、
弥陀の本願。
その弥陀の本願を聞と聞くと、

「『聞』と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心有ること無し。
 これを『聞』と曰うなり」、

仏願の生起・本末にツユチリほどの疑心もなくなってしまうと、
親鸞聖人、仰せです。
阿弥陀仏の本願に、十方衆生は五逆・謗法、悪人と言われている。
その本願に疑い晴れるから、
悪人は人間の代名詞とハッキリする、とお聞きしました。

古今東西、全人類のことがハッキリするなんて、
なんてスケールの大きな教えでしょう!

今回もまた、育児ノイローゼも吹き飛ぶ大変なご縁でした。

7月 04

まだまだジメジメ、梅雨が続いています。
育児ノイローゼもエスカレートしがちな季節です。

育児ノイローゼからの解放を求めて、
先月に続いて、親鸞聖人の講演会に行って来ました。
親鸞会館では毎回、『正信偈』について話されているそうです。

今回は、
「天親菩薩造論説
 帰命無礙光如来
 依修多羅顕真実
 光闡横超大誓願」

のところのお話でした。

天親菩薩は今から1700年前のインドの方で、千部の論主といわれるほど
多くの著作を残された方だそうです。
その目的はただ一つ。
「無礙光如来に帰命する時があるから、
 その身に救われてくれよ」
ということでした。

無礙光如来とは、大宇宙方の諸仏の先生である阿弥陀如来の別名と
聞きました。
阿弥陀仏は、すべての人を平生に、信楽(絶対の幸福)に救うと
誓っておられる。
今日あって、明日なき幸福ではなく、ずーっと続く幸福に救うと
約束されています。
いつでも、どこでも変わらぬこの真実を、天親菩薩は、
修多羅(一切経)によって明らかになされた。

横超の大誓願とは、阿弥陀仏の本願のことだそうです。
一口に悟りといっても、52の階梯があるのだそうで、
その一番上が、仏覚、仏の悟りです。
修行して悟りを目指す人たちは、この仏の悟りを開くまでに、
三大阿僧祇劫という気の遠くなる長年月の修練が必要。
中国の天台宗を開いた智者でも、五品弟子位という、下のほうの位までしか
悟れなかった。

しかし、

阿弥陀仏のお力によって、一念という時間の極まりに、
51段高飛びして、正定聚、絶対の幸福になり、
死ぬと同時に、仏に成れる身に救われる。

これが、横超の大誓願だとお聞きしました。

自力の行者に比べて、なんというすごい救いでしょう。
またまた、ビックリ仰天。
私も、そんな身になれると言われるのですから、
本当にビックリです。

ご法話の間、面倒を見てくれている保育士さんに、
娘も慣れてきたみたいですし、
娘から解放(?)されて、
私の育児ノイローゼもすっかり収まりました。

今年は、親鸞聖人の750回忌ということですが、
親鸞聖人は、本当にすごい、すごい教えを残してくださったのだなあ、
と、日一日と知らされてきました。

まだまだ分からないことだらけですが、また聞きたいと思っています。

6月 08

暑かったり、寒かったり、変な天気が続いていましたが、
ここのところ、グーッと暑くなってきました。
蒸し暑さは、大人でもイライラを呼ぶものですが、
子供も同じようで。
娘のイヤイヤもエスカレートしています。
ちょっと注意しただけで、大泣き。
昨日なんか、すねてカーテンの中に隠れちゃって、
しばらく出てきませんでした。
梅雨は、湿度とともに、育児ノイローゼの増す季節なのかもしれません。

育児ノイローゼからの解放を求めて、
今回は、親鸞聖人降誕会に行って来ました。

稚児の初参り、というのもあって、かわいらしかったです。
お母さん(お父さんの人もいたけど)と子供が登壇して、
お念珠を頂き、阿弥陀仏に献花して、合掌するんです。
娘も、阿弥陀さまに参ったってことが、自分で分かる年になったら、
稚児の初参り、出させたいなあと思いました。

お話は、親鸞聖人の「恩徳讃」でした。

「如来大悲の恩徳は
 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も
 ほねをくだきても謝すべし」

阿弥陀仏のご恩には身を粉にしても報ずべし、
それを伝えてくだされた仏教の先生のご恩にも
骨を砕いても報いずにおれない、
という御心です。
身を粉に、骨を砕いて?って、ものすごい。
難病を治してくれた医師があったとしても、
ここまでは思えないですよね。

ここまでのご恩とは、一体、何を賜ったからなのか、
ということについて、2日掛けてお話しくださいました。

印象深かったのは、
磯長の夢告です。
親鸞聖人、4歳でお父様を、8歳でお母様を亡くされて、
次は自分の番だと、9歳で出家されました。
しかし、死んだらどうなるか、後生暗い心の解決が果たせず、
19歳の時、聖徳太子の御廟にこもられます。
この時、失神されて、夢を見られた。
石の扉が開いて、聖徳太子が現れられたのです。
そして、告げられた。

 「我が三尊は塵沙界を化す。
  日域は大乗相応の地なり。
  諦らかに聴け、諦らかに聴け、我が教令を。
  汝が命根は、まさに十余歳なるべし。
  命終りて速やかに清浄土に入らん。
  善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩を」

〝阿弥陀仏は、すべての者を救わんと、力、尽くされている。
 日本は、真実の仏法が花開く、ふさわしい所である。
 よく聴きなさい、よく聴きなさい、私の言うことを。
 そなたの命は、あと、十年なるぞ。
 命終わると同時に、清らかな世界に入るであろう。
 よく信じなさい、深く信じなさい、真の菩薩を〟

という意味です。
あと10年の命だなんて宣告されたら、どんな気持ちになるでしょう。
ところが、この10年というのは、この肉体の命ではなく、
迷いの心が死ぬ、ということだったんです。

29歳で親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願に救い摂られた時、
迷いの心が死に、絶対の幸福に生まれ変わられた。
そのことを、夢告は教えていたのだとお聞きしました。

生きている時に、迷いの心が死んで、絶対の幸福に
生まれ変わる──!!

聞かせていただけばいただくほど、
底の知れない深い教えと知らされます。

聞法中は、保育士さんに預けてしっかりお聞きできたことも
よかったのでしょう、
育児ノイローゼもすっきり。
私の迷いの心も死んで、本当の幸福に生かされるよう、
また、聞かせていただきたいと思っています。

5月 09

育児ノイローゼから解放された言葉(22)

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ゴールデンウイーク、終わっちゃいましたね……。
GWといえども、母親業は休みなし。
逆に、イヤイヤ期真っ盛りの娘を保育園に
預けてホッとできる時間もなく、
24時間つきあわねばならないので、
また育児ノイローゼになりそうになりました。
主人が少しは見てくれるかなあって期待してたけど、
あえなく裏切られ。
と言っても、主人は仕事だったので、
まあ、しかたないんですけど。
育児ノイローゼを乗り切るには、これしかないと、
娘とともに、また、親鸞会のテレビ座談会を聞かせていただきました。

今回も、『なぜ生きる』という高森先生のご著書から。
以下の文章について、でした。

    *       *

苦悩の根元は「無明の闇」と教える「真の知識」は、
雨夜の星といってもいいのではなかろうか。

    *       *

すべての人は幸せ求めて生きています。
だから、人生の目的は幸せになること。
幸せになるには、苦悩の根元を知り、取り除かねばなりません。

皆さんは、何で苦しんでいると思いますか?

「そりゃあ、お金がないからでしょう」

こんな答えが、ほとんどでしょう。
90パーセント以上ではないでしょうか。

「お金があれば、愛だって買える」
と言う人さえあります。
しかし、お金持ちが自殺することがある。
もし、お金がないのが、苦悩の根元なら、
富豪が苦しんで死ぬことはないはずです。
最近、英国のウィリアム王子とキャサリンさんの
ロイヤルウエディングが大々的に報じられましたが、
王子の母であるダイアナ元妃は、
美貌にも恵まれ、お金ももちろんあった。
しかし、5回も自殺未遂をしています。
お金や美貌などが、苦悩の根元でないことが分かります。

では一体何か。
一歩進んだ人は、

「苦悩の根元は、お金や物じゃない。
 煩悩だろう」

と考える。煩悩とは、欲や怒り、愚痴など、
私たちを煩わせ、悩ませるもの。
もっとほしい、もっとほしいと欲で苦しんでいる。
腹を立てて苦しんでいる。
自分より勝る人を見て、ねたんだり、そねんだり、
恨んだりして、苦しんでいる。
煩悩ではないか、と思う人、
100人中10人くらい。

親鸞聖人も煩悩が苦しみの原因だと思われて、
比叡の山で20年間、
煩悩を断ち切ろうと壮絶な修行をなされましたが、
できなかった。

それもそのはず。
人間は、「煩悩具足の凡夫」であると、仏教では説かれています。
煩悩具足とは、煩悩に目鼻をつけたのが私だということ。
私は、煩悩100パーセント。
煩悩以外に私はない。
だから、その私から煩悩を取ったり、減らしたりすることは
できないのです。

だから、煩悩具足のままで助けてくだされなければ、
私は毛頭助からない。

阿弥陀仏は、すべての人間は煩悩具足と見抜かれて、
その煩悩具足のままで、苦悩の根元である「無明の闇」を晴らし、
絶対の幸福に救ってくださるという本願を建てられた。

苦悩の根元は、無明の闇であり、
この無明の闇を晴らせば、煩悩あるままで、
本当の幸福に生かされる

と説かれています。

「苦悩の根元は煩悩やよ」
と言う人さえ貴重。

「苦悩の根元は無明の闇だよ」
と教える人が、雨夜の星になるのは、当然でしょう。
……と、人間にとって最も知りたい苦悩の根元についてのお話でした。

私はどうだったろう。
振り返ると、
「子供がまだ小さくて、イヤイヤ期で言うことを聞かないから、
 育児ノイローゼになって苦しんでいるんだ」
と思っていました。
そういう人や物のせいじゃない。
煩悩のせいでもない。
無明の闇が苦しみの真因だなんて、今まで、思いもよりませんでした。
でも、無明の闇って何だろう。
またまた聞かずにおれなくなりました。
お聞きしたあとは、育児ノイローゼの悩みもすっきりしているし、
また、出掛けたいと思います。

4月 01

東北地方太平洋沖地震、本当に大変な惨事でしたね……。

運転中に波に押し流された人、家の下敷きになった人、
家族が波にさらわれるのを見て絶叫する人たち。
襲い掛かってくる波を見ながら、どんな気持ちで亡くなっっていかれたのでしょう。
避難所で毛布にくるまってぼう然とする人々の姿に、世の無常をまざまざと見せつけられました。

 

イヤイヤ期真っ盛りの娘といると、
また育児ノイローゼになりそう……って感じていましたが、
あれほどの苦難の前には、育児ノイローゼなんて悩みは
ちっぽけなものなのかなあ、と思わされます。

娘とともに、また、親鸞会のテレビ座談会を聞かせていただきました。

今回は、『なぜ生きる』という高森先生のご著書にある、
以下の文章について、でした。

    *       *

 人生苦海の波間から、しきりに、こんな嘆きが聞こえてくる。
「金さえあれば」
「物さえあれば」
「有名になれたら」
「地位が得られれば」
「家を持てたら」
「恋人が欲しい」
などなど。
 どうやら苦しみの原因をそこらに見定めて、近くに浮遊する、
それらの丸太や板切れに向かって、懸命に泳いでいるようだが、
はたして苦海がわたれるのだろうか。

    *        *

「金や財、地位や名誉、家や恋人を丸太や板切れに例えているのは、
どうしてでしょうか」という質問でした。

これは、今回の地震を考えると、よく分かります。
お金も財産も家も全部津波が持っていった。
家族や恋人を失った人も多くあります。
会社の社長だ、と威張っていた人も、その会社が跡形もなくなった。
皆、丸太や板切れ、
捕まっていても、クルリと回って、潮水のんで、苦しまねばなりません。

被災された方々の所へ救助隊が出動しています。
立ち直ってもらわねばなりません。
しかし、

それは、また同じように、裏切るものを獲るために、
生きるのではない。

裏切るものを求めたら、また、想定外の津波が来れば、
元の木阿弥になってしまいます。

もう二度と裏切らない真実、「弘誓の仏地」を求めるために
生きていってもらわねばならない

のだとお聞きしました。

これは、親鸞聖人が、『教行信証』後序に、こう書かれているからです。

  「よろこばしきかな。心を弘誓の仏地に樹て、

   念を難思の法海に流す。
   ふかく如来の矜哀を知りて、まことに師教の恩厚をあおぐ。
   慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。(中略)
   ただ、仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず。

   もし、この書を見聞せん者は、信順を因となし、疑謗を縁となし、

   信楽を願力にあらわし、妙果を安養にあらわさん」

その意味を『なぜ生きる』に詳説されています。

  「昔、楚の国(中国)の愚人が、家宝の剣をひそかに持ち出し、
   急流に浮かべた舟上で、試し切りに興じていた。
   切れすぎた反動で、剣は飛んで水中にジャボンと落ちた。
   舟はどんどん流されてゆく。
   驚いた彼は、さっそく、剣の落ちた舟べりに小刀で、深く印を刻み込み、
   〝やれやれこれで、剣のありかは安心じゃ〟とつぶやいたという。
   刻印の移動が念頭にない愚かさを笑ったものであろう。

    金や財を力にしている者は、金や財を失った時に顛倒する。
   名誉や地位を力にしている者は、それらをなくした時に失墜する。
   親や子供を力にしている者は、親や子を亡くした時に倒壊する。
   信念を力にしている者も、信念ゆらいだ時にまた崩壊する。
   崩れるものに樹てる人生は、薄氷を踏むように不安だが、
   たとえ釈尊、善導、法然さまがゆらごうとも、
   心を不倒の仏地に樹て、不思議の世界に生かされた親鸞は、
なんと幸せ者なのか。

   ますます阿弥陀如来の慈愛の深きを知らされ、師教の高恩を仰がずにおれない。
   限りなきよろこびは、返し切れない報恩に親鸞を泣かす。
   この弥陀の大恩を念うとき、世間の恥辱など、ものの数ではありえない。
   この書を読む人には、信ずる人もあろう。そしる者もいるだろう。
   いずれも、それを因とし縁として、弥陀の救いに遇い、
   未来永遠の幸福を獲得してもらいたい。そう念ずるばかりである」

津波にも流されない、
地震でも崩れない、
火にも焼けない、
そんな無上の幸福を親鸞聖人は教えてゆかれたのだと分かり、感動しました。

ますます育児ノイローゼなんて言っている場合じゃないんだなあ、
と思いました。
少しずつおしゃべりするようになった娘とともに、
この無上の幸福を目指したいと思います。

3月 01

魔の2歳児とはよく言ったもの。
好物だからと思って一生懸命、作って口に運んでも「べー」、
口すら開けないことまであります。
また、育児ノイローゼになりそう……。

で、その育児ノイローゼ脱却のため?、
今回は、親鸞聖人の講演会に行ってきました。

月に1度、射水市の親鸞会館であるご法話ではいつも、
「正信偈」の話がされているそうです。

今は、龍樹菩薩という方のところですが、
最初が分からないとあとも分からないということで、
最初のところから、話してくださいました。

それで、印象深かったのは、
この「正信偈」の構成です。

最初に、私が育児ノイローゼから解放された言葉である

「帰命無量寿如来
 南無不可思議光」

〝親鸞は、阿弥陀仏に救われたぞ!
 親鸞は、阿弥陀仏に助けられたぞ!〟

というお言葉があります。
阿弥陀仏のご恩が続いて書かれてあり、
そのあとに、阿弥陀仏の本願を説かれたお釈迦さまのこと。
次に、そのお釈迦さまの教え、
弥陀の本願を正しく伝えてくださった七人の高僧が、
どのように教えられたのか、
書かれているそうです。

七高僧とは、

龍樹菩薩 インド
天親菩薩 インド
曇鸞大師 中国
道綽禅師 中国
善導大師 中国
源信僧都 日本
法然上人 日本

の7人の方です。
弥陀の本願と、これらの方々の関係を、例えで教えてくださいました。

家の蛇口をひねると、水が出てきます。
これは、どうしてか。
まず、水を満々と湛えた貯水池があるから。
しかし、貯水池があっても、
そこから、私の家まで届ける水道管がなければ、
水は出ません。
水道管があっても、途中で破裂していたり、
途切れていては、やっぱり出ません。
昔は井戸から水を汲まねばならなかったので、
大変だったそうです。
蛇口をひねって、水が出るという恩恵にあずかれるのは、
貯水池と水道管のおかげです。

ちょうど、

貯水池……阿弥陀仏の本願
水道管……釈迦、七高僧、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人

の関係です。弥陀の本願と、それを伝えてくださった善知識方が
おられたから、今日、私が聞かせていただける。

親鸞聖人が、恩徳讃に、

「如来大悲の恩徳は
 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も
 骨を砕きても謝すべし」

とうたわれているのも、この弥陀と善知識の関係を言われていると
お聞きしました。

私が、今日、こうして阿弥陀仏の本願を聞かせていただけるのも、
多くの方々の大変なご苦労があってのことなのですね。
阿弥陀仏から始まる壮大な時の流れの中の、
広大なご恩を感じ、感激しました。

ここに来ると、やっぱり育児ノイローゼが吹き飛ぶ感じがします。
聞法している間、娘を見てくださっている、
親鸞会館の保育士さんにも、感謝!です。

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